余白

抽象化された言葉をうまく扱えるようになりたいという願望が常々あります。


抽象化された表現ならではの魅力があると思うので、それをミュージシャンが書く歌詞になぞらえて勝手に説明しようと思います。


僕の好きなミュージシャンはスピッツサカナクションthe novembersです。


これらのミュージシャンには言い出したらキリが無いくらいの魅力がたくさんありますが、今回のお題である「抽象的」な歌詞が魅力の共通点です。


ミュージシャンによって書く歌詞は様々ですが、具体的な歌詞と抽象的な歌詞の2つに分類できると思います。


具体的な歌詞とは、読んだら言葉として簡単に理解できて、使い馴染みのある親密性のある言葉をよく綴った歌詞と定義します。わかりやすい例を挙げると西野カナのような歌詞です。


その逆の抽象的な歌詞とは、読んでも言葉として理解するのが難しく、馴染みの無い言葉やその繋ぎ方をする歌詞と定義したいと思います。


僕は抽象的な歌詞を書くミュージシャンが好みです。なぜかといいますと


まず、抽象的な歌詞は聞き手側の人によって解釈が異なるということです。掘り下げると、歌詞の意味する本質に余白があるということです。


つまり、聞き手側がその余白を自由に埋めて解釈することができます。ここで重要なのが、聞き手側の自発的な解釈が介入しているということです。ある種、歌詞を書いた側と聞き手側の共同で作詞をしているようなものです。


一方、具体的な歌詞にはその聞き手側が自発的に解釈する余白はありません。その代わりに老若男女誰でも言葉として理解ができ、受け入れられやすいというメリットもあります。


抽象的な歌詞は「何を言いたいのかがわからない」と受け入れられない可能性があるからです。


ここで話を戻して要約すると、抽象化された表現には魅力があって、それは聞き手側が自由に解釈する「余白」があることです。


詩とかその余白の賜物ですよね。
書いてみようかな。