どれが本当の自分か

誰しもが1度は本当の自分は何なのか、何を望んでいるのかは考えると思います。


僕もたまに考えていてなかなか収集がつかなかったんですが


小説家の平野啓一郎さんが「分人主義」という新しい概念を提唱されているのを知って、なるほどなと思いました。


平野さんが定義する分人とは簡単に言うならばシチュエーションによって変わる自分の人格のことを指しています。


例えば、家族といるとき、上司といるとき、部下といるとき、友達といるときで人は対応を変えて接すると思いますが、それは自分自身に何個もの人格があることを意味しています。


これを前提に平野さんはさらに話を進めていて、自分の好きな分人でいられる時間を長く過ごすことがストレスフリーであり自由だと感じることができるんだと仰っています。


それはつまり一緒にいて心地よいと感じることができる相手は、自分が好きな分人でいられる人ということだと思います。


僕の中で十二分に腑に落ちて納得していたんですが、さらにそれを深めてくれる思想に出会いました。


アドラー心理学」という思想です。


この思想は平野さんの「分人主義」の思想と共通点があるなと感じました。


アドラー心理学の概要の一部を抜粋すると


『個人を、例えば、心と身体のような諸要素の集合としてではなく、それ以上分割できない個人としてとらえる。したがって、アドラー心理学では、心と身体、意識と無意識、感情と思考などの間に矛盾や葛藤、対立を認めない。それらは、ちょうど自動車のアクセルとブレーキのようなものであって、アクセルとブレーキは互いに矛盾し合っているのではなく、自動車を安全に走行させるという目的のために協力しているのと同じように、個人という全体が、心と身体、意識と無意識、感情と思考などを
使って、目的に向かっているのである。』

(wikipediaより一部引用)


これはアドラー心理学において重要な一角を担う考え方です。


これはつまり自分という存在は、心と身体、意識と無意識、感情と思考などを包括する存在であり分けることができないという意味です。


僕の場合、本当の自分は何だ?と考えることは、この意識と無意識はどちらが正しい自分なのか、この感情と思考はどちらが正しい自分なのか、と二者択一で選択することを今までしようとしていましたが


分人主義、アドラー心理学ではそれら両方、全てを備えたものが自分自身であり、それ以上でもそれ以下でもない。という思想をとっています。


シチュエーションによって変わるたくさんの分人を全て包括したものが自分自身である。


ケースバイケースで人格を変えていくことは極自然なことであり、変えていくことを正当化してくれたような気がしていて、
「どれが本当の自分か?」という疑問を解決してくれたように思いました。


そして自分が好きな分人でいられるようなシチュエーションを作っていきたいと思って頑張ろうとも思えました。